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なんだか呼ばれてるきがする

柳 忠熙(2018) 近代朝鮮におけるイソップ寓話の翻訳と『ウスンソリ(笑話)』(『朝鮮学報』第246輯)

 敬愛する柳忠熙(リュウ・チュンヒ)さんの論文がとても面白かったので、紹介します。
 柳忠熙さんは「朝鮮知識人尹致昊(ユン・チホ、1865~1945)の思想とその変化に注目し、近代への転換期における朝鮮知識人の思想と朝鮮社会の変化のダイナミズムについて研究」(リサーチマップより)してこられた方です。
 
 ユン・チホが『ウスンソリ』と題して訳したのが、朝鮮では最初に単行本形式で出版されたイソップ寓話でした。これが、なんと驚き!
出版された翌1909年に「治安の妨害」を理由に発売禁止処分を受ける。この事実から、保護国下の韓国の為政者にとって、この書物の政治性が問題になったことが推測できる。禁書処分を受けた翌1910年に『ウスンソリ』はアメリカのハワイ所在の新韓国報社から再出版される。
(柳 2018, p.3 :以下ページ数のみ記し、引用文中の註は適宜省略)
新韓国報社本『ウスンソリ』にも序文や挿絵は付いていない。だが、尹致昊とハワイ韓人学校の生徒との写真と、伊藤博文を暗殺した安重根の写真が載っている。
(p.6)
 もうこれだけで興味津々、近代文学研究者としては垂涎ものですね。

  さて、柳(2018)によると、これまでの研究ではこの訳本の翻訳底本(どのバージョンの本にもとづいて訳したのか)について、はっきりした見解は示されてこなかったのだそうです。イソップの日本語訳、中国語訳を参考にしたのではないかなどの意見もあるそうです。この論文では、英語訳に狙いを定め、詳細に英・韓テクストの比較を行うとともに、ユン・チホが独自に付け足した評言の政治的な諷刺を読み解いています。ちなみに、このユン・チホ、「日本や中国やアメリカでの留学を通じて西洋式教育を受けてきた尹は、アメリカ留学中の1887年から英語で日記を書き続けてきたほど英語が得意だった」(p.5)とあるように、今風にいえばグローバル知識人なのです(だからこそ、翻訳底本研究が難しい、ともいえます。色々参考にした可能性が否定できないので)。

 
 このユン・チホがイソップに付け足した「評言」がすこぶる面白いので、是非この論文を入手して読んで頂きたいのですが(柳さんによる日本語訳が載っています)、一つくらい引用しても怒られないかな……。
「馬と人」『ウスンソリ』
 馬が鹿と戦って勝利できなかったため、人に仇を討ってくれと言った。人が承諾して馬に鞍を付けてくつわをはめた後、乗って鹿を追って討った。馬がその恩恵を感謝し、鞍とくつわを外してくれるように願うと、人は「お前の仇を討ってやったから、お前の権利を尊重し、お前の独立を保護し、お前の富強をはかったから、一生私の奴隷になれ」と言い縛り付けた。馬が嘆きながら「小さい敵を討つために大きい敵に会ってしまったのは、私が独立できないせいである。誰を恨もうか」と言った*1
 
この話は、原作の『イソップ寓話*2』の内容をそのまま利用しながらも、後半の人と馬との会話を書き加えることで、朝鮮の独立のために清国とロシアと戦うという日本の名分を連想させる。この話を通して、日本の「奴隷」のような状態に陥ってしまった大韓帝国の状況を、当時の朝鮮人読者に巧みに伝えている。だが、ここで注意すべきなのは、この話は日本の名分と悪行を風刺する内容ではあるが、その風刺の対象は他人に頼って独立を失ってしまった「馬」であり、この話の意図は「馬」にその責任を問うことにあるという点である。
(柳 2018, pp.26-27)

 この「馬と人」において、日本批判、国際社会批判よりも、朝鮮人自らの責任を問うている尹致昊の狙いを、どう理解すればよいのか(他の多くの寓話では、日本批判、国際社会批判が行われていることは申し添えておきます)。ここに、尹致昊の考える「啓蒙」の問題が関わってくるようです。しかもこの翻訳書は、(韓)国語教材としての利用を考えて作られたものではないかと柳さんは指摘しています。日本批判と朝鮮政府・民衆への批判がどのような関係にあるのか、そこにエリートとしての自己意識がどのように関わるのか……などなど、尹致昊についてもっともっと知りたくなりますね。

 なお、「イソップ寓話が初めて東アジアに紹介されたのは、1583年に来華したイエズス会宣教師のマッテオ・リッチによるとされ(マッテオ・リッチ『畸人十篇』[1608])、キリスト教の布教の手段としてであった」(p.2)ということで、その後のさまざまな中国語訳『イソップ寓話』については本論文で紹介されている以下の本の一章に概略が述べられています。面白かったです。
 

e591a8e7b881e381aee8a9a9e5ada6_cover文化の翻訳あるいは周縁の詩学

内田慶市+鼓宗+柏木治+角伸明+近藤昌夫 著

A5判上製240頁/定価2,800円+税
ISBN978-4-89176-917-8 C0020 9月21日発売



《あらゆる文化は翻訳に抵抗する》

ユーラシア大陸に興った中国、イスラーム、西欧、そして日本という
四つの文明の〈接触〉〈衝突〉そして〈翻訳〉の諸相を、西学東漸、
ビザンツ帝国の崩壊と活版印刷術の発明、レコンキスタ帝国主義
反ユダヤ主義明治維新という激動の時代を背景に活写する。


【目次】


プロローグ——右が左で、左が右で/内田慶市

第Ⅰ部/東西文化交渉の胎動 
第1章/大陸の東——イソップの東漸/内田慶市
第2章/西端の半島——イベリア半島の言語統一と〈トレド翻訳学派〉/鼓宗
第3章/海峡の東西——「言語少年」とアラビア語印刷/柏木治

第Ⅱ部/文化の翻訳者たち

第1章/異文化をまたぐシャガール——なぜシャガールの魚は
ヴァイオリンと壁時計を抱えて空中に浮かんでいるのか?/角伸明
第2章/翻訳された二葉亭四迷——偏在する郊外/近藤昌夫

エピローグ
——文化の翻訳あるいは周縁の詩学/近藤昌夫

あとがき/近藤昌夫

 
 それと、『イソップ寓話』に触れているかはわかりませんが、私の積ん読本の中から、マッテオ・リッチへの言及があった本を思い出しました。以下の本の序文ほかで何度か言及があります。
  

アレゴレシス_書影アレゴレシス
東洋と西洋の文学と文学理論の翻訳可能性
張隆溪(チャン・ロンシー)(著)
鈴木章能+鳥飼真人(訳)

判型:A5判上製
頁数:396頁
定価:5000円+税
ISBN:978-4-8010-0209-8 C0090
装幀:西山孝司
好評発売中!

 

様々な言語や文化が存在するなかで、我々は何をどのように知るのか?

古今東西の様々な文学が、異なる時代と文化・政治的状況においていかに類似した読み方をされ、またいかに類似した過程をもって書かれるのかを考察し、文学や文学理論の翻訳可能性を示した、「世界文学」の世界的研究者による理論書。

目次
第一章 序論―文化の差異を越えた理解の妥当性
第二章 正典と寓意的解釈法
第三章 解釈とイデオロギー
第四章 未来社会の空想図――東洋と西洋
第五章 結論――解釈と政治

 

こんな記述も。
 
形式と構成の面に関して言えば、康の初期の短いユートピア研究の書『実利公法全書』は、朱維錚(しゅういそう)が指摘するように、「ユークリッドの『原論』を完全に模倣している」。『原論』は一六〇七年に徐光啓(じょこうけい)がマテオ・リッチ(Matteo Ricci)と共に翻訳し、最初の六巻を刊行、残りの九巻を李善蘭(りぜんらん)がアレクサンダー・ワイリー(Alexander Wylie)と共に翻訳し、一八五〇年代に出版されている。翻訳者たちは、まさかユークリッドの『原論』が一八八〇年代、「広東でひっそりと暮らす一人の若き学者に、彼のユートピア思想の表現形式を与えることになるとは思わなかったことであろう」。
(チャン 2016, pp.255-256)

  

通読しなくてはなあ……。

*1:『ウスンソリ』、29~30頁。

*2:"The Horse and the Stag", Aesop's Fables [1874?], p.56.