東洋大学文学部日本文学文化学科の在校生に向けた記事です。
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soseki-correspondence-map.netlify.app
↑これを押して開いてね。無料サービスをつかっているので、アクセスが多過ぎたら予告なく公開停止します。
時系列などでソートして見たいかたは下記スプレッドシートをみてください。




書簡の研究を進めていくうえで、ひとつのモデルケースになるのはドイツのcorrespSearch - Search scholarly editions of correspondenceじゃないかと思います。とくに視覚化するインターフェースが洗練されていて使いやすそうです。これをいじりながら新たな発見をするという研究ツールにもなるし、書籍や各種デジタルアーカイブを横断して閲覧するプラットフォームにも出来そうな気がします。
自分が普段扱っている、各地の文学館が所蔵する書簡(書籍に収録されたもの、未収録のもの、学術雑誌に翻刻が載っているものなど公開状況はいろいろ)の書誌データをひとまとめにしてCMIフォーマットに出来たらいいだろうなぁと思ったわけです。(といっても、CMIフォーマットの基本コンセプトは公開されている書簡の情報を集約することなので、私のやっている研究の場合、未発表書翰をいちどウェブサイトや学術誌で公開し、それを典拠としてデータ化する必要がありそう)
ただ、それを念頭にいくつか準備作業をしていたところ、いくつかの壁にぶつかりました。まず、CMIFは地名IDにGeonames.orgを参照先として要求するのですが、Geonames.orgは日本の地名、とくに旧行政区画に弱く、いちいち私が地名の登録作業をするのも膨大な手間になるおそれがあります。また、日本の地名に強いGeonames.jpがあることにもたどり着きましたが、Geonames.jpからGeonames.orgにデータを移植していくのも難しそうです。そこで、一旦CMIフォーマット化を棚上げし、「『日本歴史地名大系』地名項目データセット」を中心に、GeoLODのIDで代表地点の座標を得たうえで、代替サービス上で視覚化してみることにしました。それでも、たとえば京都の住所「京都市中京区麩屋町姉小路上ル」などは、地理院地図(GSI Maps)上で手動で交差点座標を求めるというアナログな手段を使わざるをえませんでした。
また、各座標をどの程度の粒度で統一するのか、という点が難しいです。実際の書簡資料では、資料の保存状態が完全でない場合や、番地が略されたり、区画整理前の宛先を記述しているなど、正確でない場合があります。また持参状・使い便の受発信住所を座標としてどうするか。悩ましいところが色々あるので、今回はざっくりと、なるべく「町」とか「村」単位まで情報を得て、代表点を得ることにして、とくに同じ町内で引越しがあった正岡子規の上根岸82、上根岸88の座標だけは、古い地図を見て手動で求めました。あとは、先行研究で指摘されている須磨保養院と須磨療養院の混同も避けたかったのですが、これは明確なランドマークが確認できず、棚上げ状態です。こんなかんじでこだわろうとすると余りに手間が掛かるため、ざっくりと「町」レベルで座標を置いて、底本の住所表記で「町」「村」が略されて(欠けて)いる場合も、あえて「町」「村」レベルまで補ったものがあります。
もうひとつ気になる点というか、もやっとするのは、著作権についての考え方です。作家の著作権保護期間が終っていても、全集や書簡集という現代の出版物において、注釈や解説にはあらたな著作権が発生していると考えるのが通例です。本文校訂についてはどうなんだとか、考え出すといろいろとグレーな感じがしてきます。さらにいうと、『定本漱石全集』第22~24巻は現在も販売中の商品です。
ちょっとここで宣伝(推し活?)を挟みます。最近亡くなった祖父江慎さんによるモダンな造本の『定本漱石全集』。
たまに最新の漱石研究の論文に引用される漱石作品の本文が1990年代の『漱石全集』(第一次刊行)に拠っているものを見かけますが、専門家がそんなことではいけません(同じ平成版を使うにしても第二次刊行で資料が増補されています)。
とはいえ90年代版のほうが古本市場で安く流通していますので、漱石愛読者の方でもわざわざ新品で『定本』を買うのはどうかなという人もいらっしゃるかと思います。さすがに全巻揃えるのは高額になりますが、『定本漱石全集』書簡の巻(22~24巻)はとくにおすすめです。24巻に人物索引が付いているので、3冊揃えたうえで、第一刷の場合は図書館で別巻の月報に収められている正誤表を探して反映しておくとなお良いです(生没年未詳だったマイナーな人物について、その後の調査で明らかになったことが正誤表に記載されていたりします)。以前の記事にも書きましたが、書簡の巻は膨大な現物資料を検証しなおし、新たな情報や新発見が沢山盛り込まれており、これ自体が巨大な研究成果といえるものになっています。
『定本漱石全集』のほかの巻にも、これまで知られていなかった文章や、講義録などの新資料が収録されています。
たとえば今回の『定本』版で新収録の書簡をネットで読めるようにしてしまうのは、ちょっとどうかなと思ってしまいます。『漱石全集』が積み重ねてきた膨大な手間と、それが今後も続いてほしいなというリスペクトがある分、私としては慎重にならざるをえません。ここまでくると著作権というよりも精神的な領分でしょうか。
そこで、利便性は半減してしまいますが、書簡本文のデータは今回の地図に載せないことにしました。いずれ出版社にコンタクトをとって後顧の憂い無く、便利なものを作りたいです。
というわけで御手元に『定本漱石全集』第22巻を置いて、ブラウザで国会図書館デジタルコレクション内の『定本高浜虚子全集』『子規全集』、上記地図とスプレッドシートを開き、画面と書籍を照らし合わせながら読んでもらう、というなんとも中途半端な代物になりました。漱石の留学先から妻や子規に宛てた書簡やら、東京から南京にいる菅虎雄に宛てた書簡やら、地図として視覚化してみると気になるものが浮かび上がってきますので、『定本漱石全集』の書簡の巻をたのしみつくす「しおり」として活用してもらえたら嬉しいです。
本地図は、次項「書簡データの典拠」に示した書籍に収録された書簡のうち、差出地または宛先地を確認または推定できた書簡を対象としている。試験的作成のため厳密でない推定を含む。とくに、典拠において住所が不明とされている場合も前後の書簡、またはその他の外部的情報から推定した場合がある。対象期間は1889-05-13から1903-07-30までである。
地図上の赤い点は差出地、青い点は宛先地を示す。差出地と宛先地の双方に座標を付与できた書簡については、両地点を直線で結んでいる。この線は実際の郵送経路や移動経路を復元したものではない。
地名のみが判明し、具体的な地点を特定できない場合には、その地名の代表点を用いることがある。また、歴史的住所の比定が困難な書簡、差出地または宛先地が不明な書簡は、地図上に表示されない場合がある。
収録件数は544通、地点数は1087件、差出地と宛先地を結んだ経路線は543件である。最終更新日は2026/07/30。
書簡データの作成にあたっては、下記書籍を典拠とした。
『定本漱石全集』第22巻「書簡 上」(岩波書店、2019、第1刷)、書簡番号1~300
『子規全集』第18巻「書簡1」(講談社、1977)・第19巻「書簡2」(講談社、1978)、宛先に「夏目漱石,高浜虚子,柳原極堂,森鴎外,大谷繞石,村上霽月,長塚節,寺田寅彦」を含むもの。
『定本高浜虚子全集』第15巻「書簡・資料集」(毎日新聞社、1975)、宛先に「夏目漱石,正岡子規,柳原極堂,森鴎外,大谷繞石,村上霽月,長塚節,寺田寅彦」を含むもの。
日付、差出人、受取人は上記資料に基づく。地名の分割・正規化、地名典拠IDの付与、歴史的住所と現在地との対応、および緯度・経度の付与は、作成者が別途行った。
なお、書簡本文については、作家の著作権保護期間は終了しているものの、注記などの著作権、『定本漱石全集』が販売中の商品であること等をかんがみ、公開資料に含めていない。書簡ID(典拠名_巻号_書簡番号)をもとに典拠を参照して頂きたい。
特別な場合を除いて、座標は丁・番地レベルの差異を度外視し、町・村レベルの地名の代表点を使用した。
地名の識別には主にGeoLODおよびGeoNames.orgを参照した。これらのIDから座標を取得できる場合は、各サービスが提供する代表点座標を使用した。
IDを特定できない歴史的住所や海外住所については、国土地理院「地理院地図」、Google Maps等の現代の地図サービス、歴史地図、地籍図、旧居跡の表示、地域史資料等を参照して手動で比定した。各地点には、座標の取得方法、空間的精度、比定の確信度および根拠注記を記録している。
試験的作成のため、典拠に明確に住所の記述がない場合も前後の書簡と同じ住所を割り当てた場合がある。
服部徹也
2026/07/30公開 最終更新
本サイトで公開するデータのうち、作成者が独自に作成した書簡メタデータ、歴史的地名の比定情報、座標付与方法、空間的精度、確信度および注記は、特記のない限り、クリエイティブ・コモンズ表示4.0国際ライセンス(CC BY 4.0)のもとで利用できます。
利用にあたっては、次のように出典を表示してください。
「漱石関係書簡地図(1889-1903)書簡地点データ、作成者:服部徹也、2026年版、CC BY 4.0」
データを編集・加工して利用した場合は、原データを加工したものであることを明記してください。
底本に由来する情報、GeoLOD、GeoNames.org、国土地理院、OpenStreetMapその他の第三者が提供するデータおよびコンテンツには、それぞれの権利者が定める利用条件が適用されます。これらは、上記CC BY 4.0による許諾の対象に含まれない場合があります。
本データに含まれる座標には、歴史的住所に対応する現在地、地名・港湾・街路区間等の代表点、および資料に基づく推定地点が含まれます。座標および所在地比定の正確性、完全性、特定の目的への適合性は保証しません。
本データの利用によって生じた損害または問題について、作成者は責任を負いません。研究成果等で利用した場合は、成果物の情報を作成者へお知らせいただければ幸いです。
一部の地名識別子および座標にはGeoNames.orgのデータを使用しています。
GeoNames data is licensed under CC BY 4.0.
一部の地名識別子および座標にはGeoLODを使用しています。各データの利用条件は、GeoLODに収録された各地名辞書のライセンスに従います。
一部の座標は「地理院地図」(国土地理院)を参照して取得しました。座標の選定および歴史的住所との対応付けは作成者が行いました。
Google Mapsを参照して位置を確認した一部の座標は、CC BY 4.0による再利用許諾の対象外とします。当該地点の再利用にあたっては、参照元サービスの利用条件を利用者自身で確認してください。
本データセットにはのメタデータに適用されるCC BY 4.0は、底本の書簡本文には適用されません。底本の校訂、注釈、解説その他の編集著作物、本文を利用する際は、原資料および使用した底本の権利関係を各自で確認してください。
熊本のみなさんの無事を祈りながら 2026年7月30日 服部徹也 拝
東洋大学の協定校であるフィレンツェ大学(University of Florence)のEmanuele Castano先生をお招きした講演のお知らせです。事情により直前の御知らせになってしまいましたが、関心のあるかたはぜひご参加ください。
2026年6月12日(金)4限 14時45分~16時15分
講演者:Emanuele Castano フィレンツェ大学(University of Florence)
演題:“Narratives of Certainty, Narratives of Ambiguity: Literary Forms, Social Categories, and Democracy”
使用言語:英語
会場:東洋大学白山キャンパス6号館1階 6101教室
※構内が迷路状になっているため、みんなのマップの「ルート案内」もご活用ください。
ホストを務める本学日文文・アーサー武・ソーントン先生がご担当の「世界の文学文化と日本」の授業(6101教室)の一環として講演会を行ないます。
履修学生以外も聴講可、東洋大学グローバルリーダー(TGL)プログラム参加者にはTGLポイントの付与が行なわれます。
※本学校門ではセキュリティチェックが続行されているため(文学部教授会は不要論を唱えています)、入構する際には、守衛に講演を見に来た学外者であることを告げ、記帳していただくことになります。

ここのところ書簡をとおして漱石の弟子を研究しています。その過程で、森田草平(1881-1949)の書簡がすこぶる面白いので作品も集め始めました。そこで、TEI準拠のファイルを作る練習を兼ねて、森田草平の出世作を電子化してみました。
森田草平「病葉」(わくらば)『芸苑』(1906-01) - Call of Unread Books
森田草平「病葉」(『草雲雀』1907-11) - Call of Unread Books
穏かな夏の朝。ぎいと舵の音がする。
自分は病床の日課にして読み〳〵して居るメレヂコウスキイの『諸神復活』を畳に伏せて、斜めに半身を起した。窓よりつゞく青田、緑の堤越しに、大河を溯る白帆が七つ、眩きばかり日光を反射して今日の炎熱を予言して居るやうだ。北の海より起つて南へ走る国境の山なみは、空気の澄むだ所為か毎日よりは近く寄せて、薄紫の山の背が顫へて見える。舵の音がする、白い鳥が飛んだ。あゝ裏日本の山河は夏に好い。
旧暦七月十三日、今朝は如何して心が落着かないだらうなと、自ら窘めるやうに呟いて見た。昨日の端書で見ると、今日の川船に便乗して伯母と一緒に来ると云ふ。自分は矢張静緒の来るのが心待ちに待たれるかと思ふと、何か侮辱でもされたやうな、堪へ難い心もちがして、投げ出すやうに横に成つた。
昔詩人あり、ある少女に恋を運んだ。而も詩人の恋は、その少女の甲たり乙たるが為めにはあらずして、たゞ少女なるが故に少女を慕へるのであつた。真白き腕に頸を巻かれて、胸の鼓動を合せ、地上の悲みを忘れてみ空の歓びに耽れる時、詩人は只少女の後ろなる或ものゝ影に憧るゝのであつた。この時少女はその優しき口を開いて、
「われ汝を愛す。」
と云ふ。詩人は抱ける少女を突離して、両手で顔を蔽ひ痛ましくも泣いた。
斯くの如きもの、噫、静緒に対する自分の恋であつた。
熟々と思ふに恋もまた一種の好奇心である。若い男女の胸を煽り血を湧かすものは色欲では無い好奇心だ。人間を堕落させたのもエバの好奇心では無いか。昔から男と女とは好奇心を満足する為めに互に犠牲に仕合ふ。之れを名づけて恋愛といふ。
好奇心が去つた恋愛は枯れた木の葉だ。枯れた葉が落つれば新しい芽が角ぐむ。新しい芽が角ぐむために枯れた葉が落ちるのか、枯れた葉が落ちるために新しい芽が角ぐむのか、誰が自然の秘密を知つて居やうぞ。
自分は再び『諸神復活』を取上げた。気がついて見ると先刻から同じところばかり何度も繰返して読むで居る。伊太利亜文芸復興期の代表的王者たるロドヸコ、イル、モオロも、王后ベアトリチェの愛を弄びながら、尚ほ
「彼は愈々彼女を欺けば、愈々彼女に恋着して居るやうに感ぜざるを得なかつた。」
といふ一節である。自分はも一度読み直してから、枕の上に仰向けになつて、静に 眼を閉ぢた。
やがて賑はしい女の声がすると思つて眼を覚ました。
「いいえ、今丁度寝て居たやうですから、挨拶なぞは後にして、それよりか日中嘸暑かつたでせうねえ。まあ早く着物を替へて、小座敷の風通りの好いところで涼むで下さいませ。」
と、これは低い母の声である。
「はい、船ですからそんなでも有りませんでした。あの、東京からお帰りになつて直ぐ御病気だと承はつたものですから、私許でも皆吃驚して了ひまして、如何なることかと御案じ申して居りましたが、そんな御容子なら大きに御安心で御座いませう。」と、ませた口の利方をするのは静緒である。胸の動悸はわれにもあらず早くなつた。合の襖と板戸越しに華美な透綾の袂が見える。はて伯母は来なかつたらうか。
「まあ静さむ入らつしやいまし、今一寸手の離せない用事をして居ましたから」と挨拶に這入つたのは嫂で、静緒には親身の姉に当る、「さあ三郎ちやんも叔母様に叩頭なさらんか、どら、好い物をお貰ひだねえ。」
如何したのか六歳になる甥の三郎は、椽側伝ひに自分の寝て居る方へ駈けて来た。
「叔父ちやん、少叔母ちやんが来たよ。」と大きな声をする。自分が怖い眼をして見せると、悪い顔をして黙つて了つた。
「まあ何といふ児でせう、折角頂いた物を抛り出して逃げて行きましたよ。」といふ嫂の言葉に連れて三人の女の笑声がした。やがて三人とも立ち上つて此方へ来るらしい。
「寝むでお居でかえ」と枕元に座つた母の声。
自分は間の悪いのを忍んで、故と今眼を覚した体にもてなした。
「あゝ静緒さんでしたか、つい仮睡して居たものだから……。」
斯かる場合に女は却て大胆なものである。形の如き久闊の口上、病気の見舞、顔も赤らめず、恰も暗誦したものを並べ立てるやうである。自分は何となく不快に思つた。何故この女はかくまで辻褄の合ふやうに物を言ふのだろう。一とせ振りに恋人に逢つて、声も顫はない女は幸ひであらうか。挨拶が一通り済むと、母は仕掛けた仕事があるといふので、立ちがけに、
「伯母さまは御用の都合で今日は来て下さらないさうだから、御留守の中に静さんをたんと使ひますよ。さ、早く着物を替えて盆の飾物の手伝ひを為てお呉れやす。」
と母に似ぬ軽口を云ひながら、台所の方へ出て行つた。その後から静緒もお客様の如く嫂に伴はれて次の間へ行つた。やがて帯を解く音、衣ずれの音がして、忙しく扇を使ふ音がする。
「もう〳〵帯の下が蒸れて火を巻いてるやうですよ。如何して私はこんなに肥るのでせう。」
「それも今の中ですよ。嫁に行けば仲々肥つては居られません。」
「然う………、姉さむは矢張血色が悪いことねえ。」
こんな問答が聞えた。切めて痩せては呉れないで、残酷に肥つたものだと、自分はひとり苦笑した。複雑な男の心を理解し得ないだけ、それだけ静緒は自分を信用して居る。飽くまで自分を占領したつもりで居るのだらう。若し静緒に今なほ自分の心を繋ぐ或ものがあるとすれば、それは静緒が然う信じて居るところに外ならぬ。
この夕暮は亡き人々の精霊来るといふ。棚作りて鼠尾草を折敷き、瓜茄子おかしげに枝豆添へて、吊下れる灯籠微かに棚経忙しく、門に燎く麻幹の迎火も消え〳〵に宵の間は過ぎた。
このあひだ静緒の顔を見ることなし。
田舎の夏の夜は深けるに早く、暮れて二時間とも経ぬに、雨戸繰る音やかましう、室々の灯火一つ〳〵吹消して人は皆眠りに就く。やがて古きこと百年にも成りぬべきこの茅葺の大家に、明りの射すのは只自分の部屋ばかりとなつた。
さても眠られぬ夜かな。間二つ距てゝ、捩の弛んだ 柱時計が、懶げな、死霊の憑いたやうな音で一つ打つた。直ぐ次の間では誰か高く鼾をかき始めた。自分は労れた眼を睜つて、煤けた洋灯のどんよりした光に照らす唐紙の、龍田川の紅葉散り〴〵に破れたさまを、珍らしきものゝやうに眺めて居たが、不図、何日であつたか母が自分に向つて、物とはなしに、兄弟同志で姉妹同志を娶つた家は、何方か片方が夭死をして末の好くないものだと、近所の誰彼の例を成程と思はせるまでに数多挙げて談されたのを想ひ出した。あゝ、自分と静緒とは遂に他人に終る宿縁ではあるまいか。
葉脈の腐れた病葉は晩かれ早かれ枝を辞する。今一思ひに棄られた方が女の為めにも幸福であらう――とは流石に自分の良心が云はせぬ。斯うして此方を向いて居るうちにも、何時の間にか自分の背後へ忍んで来て居て、寝返りを打つた時に、静緒が小さくなつて戦へて居る姿を見付けたら、自分は果して如何為し得るだらうと思つた。思ふと同時に、圧迫せらるゝやうな、恰も水に溺れた時のやうな心持に成つて、身を窘めて、故らに後ろを見まいとした。
頬がほてるので幾度となく枕を仕直したが、暫くして自分は厠へ立つた。雨戸を二尺ばかり明けて手水を注ぎかけて居る時、
「もし、」
と自分の背へ手を懸けたものがある。驚いて一足下ると、南天の葉越しに十三夜の月が水の如く射し込んで、黒暗の枠の中に、胸を掻抱くやうにして立つて居る静緒の寝巻姿を、絵のやうに泛べ出した。自分は暫く物が言はれなかつた。流石に色白く髪長の人なれば、この時ばかりは思ひも掛けず美しく自分の眼に映つたのである。
「今夜何うしても御相談しなけりやならない事が出 事 ましたの。「え。」と云つたばかりで、自分は何事とも思ひ分かない。 それですから阿母さんが明日一緒に行けと申しましたのを私一人先きへ参りました。昼間からこの事を兄さんに(少さい時からの習はせで自分のことを斯く呼ぶのだ)云ひたい〳〵と思つて居ても折が無いものだから……。」と言葉を途切らして自分を瞻上げた。それで今まで眠らないで居て、自分の起出るのを待つて跡を跟いて来たと云ふのであらう。
「一体如何した訳なんだ。」と、静緒の肩に手を懸けて優しく諮いた。
「何日でしたか一度東京へも御報知したでせう。佐渡 の姨様から、彼方の親戚へ 私をといふ話があつて、それなりに成つて居たんですが、今度俄に急いて来たので、如何してももう極めなければならんと云ふのです。私は実に困つて了つたのですから、兄さんに相談して、兄さんさへ覚悟して居て下さりやァ、何もかも阿母さんに言つて了はうかと思ひますの……兄さんは矢張昔の通りの心で居て下さいませうね。」
自分も然うで無いとは云へなかつた。
「兄さんが其気でさへ居て下さりや私は安心して居ますが、この事は阿母さんに打明けた上で、佐渡の方は断はつて了ふことが出来たにせよ、若し両方の親が不承知で添はせて呉れなかつたら、世間へも面向けが出来なくなつて、私は如何成ることでせう。」
用心深い女としては或は道理な心配かも知れないが、自分は不快の念が喉元まで込み上げて、「其方よりも此方が如何成るでせう」と危ふく口に出すところであつた。あゝ、如何なる場合にも思慮を遺れない女は詰らない。
「あらッ姉さんじやないか。」と、静緒は周章てゝ自分の袂を執つた。成程小咳をしながら椽側を足早やに来る気合がする。何と思つたか、静緒は自分の袖を持つたまゝ庭へ飛び下りて、ずん〳〵引張つて行つたが、玉笹の茂みの向ふへ廻はつてほつと息を吐いた。
空には一杯露が満ちて、彼方の杉の杜は矗々と、星の囁きに耳を傾けて居るやうである。薄白い月光を浴びた女の頸筋より肩へかけて朧ろの輪を画いて、暖き肉は微動するかとも見えた。誰か女を論らうものぞ、天地の間、女は只弱く小さい者である。この時、静緒にして若し自分に身を投げ掛けて、泣いて訴ふることを知つて居たら、自分はこの侭直に女を連れて出奔しても敢て悔いないと思つた。されど道行といふことは舞台の上で演ぜらるべきものだ。劇場以外に於て、何処へ女と共に走り得やうぞ。
裏の藪では寝惚けた雀の騒ぐ音が為る。
嗚呼、今は自分も再び此処に静緒を欺くに忍びない。
成らざる恋に悶ゆといふもの、そは恋の滑稽なる半面である、誠に堪へ難きは醒めたる恋を持続する男の心であらう。然し世の所謂夫婦なるものが悉くそれであつて、若し女といふものがそんな冷たい男の恋にも甘んずべき宿命を帯べるものとすれば、自分は敢て静緒の為めに一生を犠牲にするを辞するものではない。静緒の為めに善き良人、善き父と成つて朽ち果つるのも厭はない。
然りなから面のあたり自分こそは静緒の情人なりと、万人の前へ名告つて出る勇気が自分にあらうか、恋人の手を執らんが為めに、成り掛けた他所の縁組にまで邪魔を入れる、そんな小説染みた行動が今の自分に為し得られやうか。
縦しそれも眼を瞑つて断行するとして、偖て風雨去つた後で自分の掌裡に残るものは何であらう。あんな女の為めに、それ程までに騒いだかと思はれるのが如何にも心外で、そこは如何しても男の自尊心が許さない。
あんな女、あんな女――自ら欺かんには余りに明かな事実である――静緒は醜婦だ。
妍く生れざる女は悲しいかな。
*****
病後の身でながく夜露に打たれて居た為めか、明る朝は熱度が昂まつて頭がぎん〳〵病め、始終悪夢に魘はれたやうに一日を過した。氷嚢やら薬瓶の世話を静緒が一人で為て呉れたといふことも後で聞いた。この日伯母が来た時、嫂は伯母を片蔭へ呼んで何か密々談して居たとのことである。それかあらぬか伯母は其次の朝の便船で、静緒を連れて急に帰ることになつた。
その朝、伯母の背後に躱れるやうにして、暇乞をして出た静緒の顔は凄まじきまでに蒼かつた。されど心安かれ、女に取つては如何なる日も昨日と成らぬ日は無からう。
*****
この月この日自分は静緒を捨てた。されど恋は捨てたとのみ云つて終るものであらうか、真の恋は捨てた日から始まるのでは無からうか。
あゝ、枯れた葉が落つれば同じ枝から新しい芽が萌え出づる。(完)
穏かな夏の朝。舵の音がする。
自分は病床の日課にして読み〳〵して居るメレヂュコウスキイの『諸神復活』を畳に伏せて、急に半身を起した。窓よりつゞく青田、緑の堤越しに、大河を溯る白帆が七つ、眩きばかり日光を反射して今日の炎熱を予言して居るやうだ。北の海より起つて南へ走る国境の山なみは、空気の澄むだ所為か毎日よりは近く寄せて、薄紫の山の背が顫へて見える。舵の音がする、白い鳥が飛んだ。あゝ裏日本の山河は夏に好い。
旧暦七月十三日。「今朝は如何して心が落着かないだらうな。」と、自ら窘めるやうに呟いて見た。昨日の端書で見ると、今日の川船に便乗して伯母と一緒に来ると云ふのだ。自分は矢張静緒の来るのが心待ちに待たれるかと思ふと、何か侮辱でもされたやうな堪へ難い心もちがして、投げ出すやうに横に成つた。
昔詩人あり、ある少女に恋を運んだ。而も詩人の恋は、その少女の甲たり乙たるが為めにはあらずして、たゞ少女なるが故に少女を慕へるのであつた。真白き腕に頸を巻かれて、胸の鼓動を合せ、地上の悲みを忘れてみ空の歓びに耽れる時、詩人は只少女の後ろなる或ものゝ影に憧るゝのであつた。この時少女はその優しき口を開いて、
「われ汝を愛す。」
と云ふ。詩人は抱ける少女を離して、顔を両手で蔽ひ痛ましくも泣いた。
斯くの如きもの、噫、静緒に対する自分の恋であつた。
熟々と思ふに恋もまた一種の好奇心である。若い男女の胸を煽り血を湧かすものは色欲では無い好奇心だ。人間を堕落させたのもイヴの好奇心では無いか。昔から男と女とは好奇心を満足する為めに互に犠牲に仕合ふ。之れを名づけて恋愛といふ。
好奇心が去つた恋愛は枯れた木の葉だ。枯れた葉が落つれば新しい芽が角ぐむ。新しい芽が角ぐむために枯れた葉が落ちるのか、枯れた葉が落ちるために新しい芽が角ぐむのか、誰が自然の秘密を知つて居やうぞ。
自分は再び『諸神復活』を取上げた。気がついて見ると先刻から同じところばかり何処も繰返して読むで居たのだ。文芸復興期の代表的王者たるロドヸコ、イル、モオロも、王后ベアトリチェの揶揄翻弄しながら、尚ほ
「彼は愈々彼女を欺けば、愈々彼女に恋着して居るやうに感ぜざるを得なかつた。」
といふ一節である。自分はも一度静に読み直して、枕の上に仰向けになつて、眼を閉ぢた。
賑はしい女の声がすると思つて眼を覚ました。
「いい𛀁、今丁度寝て居たやうですから、挨拶なぞは後で宣う御座いますよ。それよりか日中嘸暑かつたでせうね𛀁。まあ早く着物を替へて、小座敷の風通りの好いところで涼むで下さいませう。」
と、これは低い母の声である。
「はい、船ですからそんなでも有りませんでした。あの、東京からお帰りになつて直ぐ御病気だと承はつたものですから、私許でも皆吃驚して了ひまして、如何なることかと御案じ申して居りましたが、そんな御様子なら大きに御安心で御座いませう。」と、ませた口の利方をするのは静緒である。胸の動悸はわれにもあらず早くなつた。合の襖と板戸越しに華美な透綾の袂が見𛀁る。はて伯母は来なかつたらうか。
「まあ静さむ入らつしやいまし、今一寸手の離せない用事をして居ましたから」と挨拶に這入つたのは嫂で、静緒には親身の姉に当る、「さあ三郎ちやんも叔母様に叩頭なさらんか、どら、好い物をお貰ひだね𛀁。」
如何したのか六歳になる甥の三郎は、椽側伝ひに自分の寝て居る方へ駈けて来た。
「叔父ちやん、少叔母ちやんが来たよ。」と大きな声をする。自分が怖い眼をして見せると、悪い顔をして黙つて了つた。
「まあ如何いふ児だらう、折角頂いた物を押投り出し逃げて行きましたよ。」といふ嫂の言葉に連れて三人の女の笑声がした。やがて三人とも立ち上つて此方へ来るらしい。
「寝むでお居でか𛀁」と枕元に座つた母の声。
自分は間の悪いのを忍んで、故と今眼を覚した体にもてなした。
「あゝ静緒さんでしたか、つい仮睡して居ましたものだから……。」
斯かる場合に女は却て大胆なものである。形の如き久闊の口上、病気の見舞、顔も赤らめず、恰も暗誦したものを並べ立てるやうである。自分は何となく不快に思つた。何故この女はかくまで辻褄の合ふやうに物を言ふのだろう。一とせ振りに恋人に逢つて、声も顫はない女は幸ひであらうか。挨拶が一通り済むと、母は仕掛けた仕事があるといふので、立ちがけに、
「伯母さまは御用の都合で今日は来て下さらないさうだから、御留守の中に静さんをたんと使ひますよ。さ、早く着物を替𛀁て盆の飾物の手伝ひを為てお呉れませう。」
と母に似ぬ軽口を云ひながら、台所の方へ出ていかれた。その後から静緒もお客様の如く嫂に伴はれて次の間へ行つた。やがて帯を解く音、衣ずれの音がして、忙しく扇を使ふ音がする。
「もう〳〵帯の下が蒸れて火を巻いてるやうですよ。如何して私はこんなに肥るのでせう。」
「それも今の中ですよ。嫁に行けば仲々肥つては居られません。」
「然う………、姉さんは矢張血色が悪いことね𛀁。」
こんな問答が聞𛀁た。切めて痩せては呉れないで、残酷に肥つたものだと、自分はひとり苦笑した。複雑な男の心を理解し得ないだけ、それだけ静緒は自分を信用して居る。飽くまで自分を占領したつもりで居るのだらう。若し静緒に今なほ自分の心を繋ぐ或ものがあるとすれば、それは静緒が然う信じて居るところに外ならない。
この夕暮は亡き人々の生霊来るといふ。棚作りて鼠尾草を折敷き、瓜茄子おかしげに枝豆添へて、吊下れる灯籠微かに棚経忙しく、門に燎く麻幹の迎火も消𛀁〳〵に宵の間は過ぎた。
このあひだ静緒の顔を見ることなし。
田舎の夏の夜は深けるに早く、暮れて二時間とも経ぬに、雨戸繰る音やかましう、室々の灯火一つ〳〵吹消して人は皆眠りに就く。やがて古きこと百年にも成りぬべきこと茅葺の大家に、明りの射すのは只自分の部屋ばかりとなつた。
さても眠られぬ夜かな。間を二つ距てゝ、古きを家と争ふほどな柱時計が、懶げな、死霊の憑いたやうな音で一つ打つた。直ぐ次の間では誰か高く鼾をかき始めた。自分は労れた眼を睜つて、煤けた洋灯のどんよりした光に照された唐紙の、龍田川の紅葉散り〴〵に破れたさまを、珍らしきものゝやうに眺めて居たが、不図、何日であつたか母が自分に向つて、物とはなしに、兄弟同志で姉妹同志を娶つた家は、何方か片方が夭死をして末の好くないものだと、近所の誰彼の例を成程と思はせるまでに数多挙げて談されたのを想ひ出した。あゝ、自分と静緒とは遂に他人に終る宿縁ではあるまいか。
虫に蝕はれた 病葉は晩かれ早かれ枝を辞する。今一思ひに捨られた方が女の為めにも幸福であらう――とは流石に自分の良心が云はない。斯うして此方を向いて居るうちにも、何時の間にか自分の背後へ忍んで来て居て、寝返りを打つた時に、静緒が小さくなつて戦へて居る姿を見付けたら、自分は果して如何為し得るだらうと思つた。思ふと同時に、圧迫せらるゝやうな、恰も水に溺れた時のやうな心持に成つて、身を窘めて、故らに後ろを見まいとした。
頬がほてるので幾度となく枕を仕直したが、暫くして自分は厠へ立つた。雨戸を二尺ばかり明けて手水を注ぎかけて居る時、
「もし、」
と自分の背へ手を懸けたものがある。驚いて一足下ると、南天の葉越しに十三夜の月が水の如く射し込んで、黒暗の枠の中に、胸を掻抱くやうにして立つて居る静緒の寝巻姿を、絵のやうに泛べ出した。自分は暫く物が言はれなかつた。流石に色白く髪長の人なれば、この時ばかりは思ひも掛けず美しく自分の眼に映つたのである。
「今夜何うしても御相談しなけりやならない事が出来ましたの。それですから阿母さんが明日一緒に行けと申しましたのを私一人先きへ参つたのです。昼間からこの事を兄さんに(少さい時からの習はせで自分のこと斯く呼ぶのだ)云ひたい〳〵と思つて居ても折が無いものだから……。」と言葉を途切らして自分を瞻上げた。それで今まで眠らないで居て、自分の起出るのを待つて跡を跟いて来たと云ふのであらう。
「一体如何した訳なの。」と、静緒の肩に手を懸けて優しく諮いた。
「五月でしたか一度東京へも御報知したでせう。佐渡 へ嫁附いて居る姉さんの良人の親戚とかで、 私をといふ話があつて、それなりに成つて居たんですが、今度俄に急いて来たので、如何してももう極めなければならんと云ふのです。私は実に困つて了つたのですから、兄さんに相談して、兄さんさへ覚悟して居て下さりやァ、何もかも阿母さんに言つて了はうかと思ひますの……兄さんは矢張昔の通りの心で居て下さいますでせうね。」
自分も然うで無いとは云へなかつた。
「兄さんが其気でさへ居て下さりや私は安心して居ますが、この事を阿母さんに打明けた上で、佐渡の方は断はつて了ふことが出来たにしろ、若し両方の親が不承知で添はせて呉れなかつたら、世間へも面向けが出来なくなつて、私は如何成ることでせう。」
用心深い女としては或は道理な心配かも知れないが、自分は不快の念が喉元まで込み上げて、「其方よりも此方が如何成るでせう」と危ふく口に出すところであつた。あゝ、如何なる場合にも思慮を遺れない女は詰らない。
「あらッ姉さんじやないか。」と、静緒は周章てゝ自分の袂を執つた。成程、小咳をしながら椽側を足早やに来る響がする。何と思つたか、静緒は自分の袖を持つたまゝ庭へ飛び下りて、ずん〳〵引張つて行つたが、玉笹の茂みの向ふへ廻はつてほつと息を吐いた。
空には一杯露が満ちて、彼方の杉の杜は矗々と、星の囁きに耳を傾けて居るやうである。薄白い月光を浴びた女の頸筋より肩へかけて朧ろの輪を画いて、暖き肉は微動するかとも見𛀁た。誰か女を論らうものぞ、天地の間、女は只弱く小さい者である。この時、静緒にして若し自分に身を投げ掛けて、泣いて訴ふることを知つて居たら、自分はこの侭直に女を連れて出奔しても敢て悔いないと思つた。されど道行といふことは舞台の上で演ぜらるべきものだ。劇場以外に於て、何処へ女と共に走り得やうぞ。
裏の藪では寝惚けた雀の騒く音が為る。
嗚呼、今は自分も再び此処に静緒を欺くに忍びない。
成らざる恋に悶ゆといふもの、そは恋の滑稽なる半面である、誠に堪へ難きは醒めたる恋を持続する男の心であらう。然し世の所謂夫婦なるものが悉くそれであつて、若し女といふものがそんな冷たい男の恋にも甘んずべき宿命を帯べるものとすれば、自分は敢て静緒の為めに一生を犠牲にするを辞するものではない。静緒の為めに善き良人、善き父と成つて朽ち果つるのも厭はない。
然りなから面のあたり自分こそは静緒の情人なりと、父母の前へ名告つて出る勇気が自分にあらうか、恋人の手を執らんが為めに、成り掛けた他所の縁組にまで茶々を入れる、そんな小説的な行動が今の自分に為し得られやうか。
よしそれも眼を瞑つて断行するとして、偖て風雨去つた後で自分の掌裡に残るものは何であらう。あんな女の為めに、それ程までに騒いだかと思はれるのが如何にも心外で、そこは如何しても男の自尊心が許さない。
あんな女、あんな女――自ら欺かんには余りに明かな事実である――静緒は醜婦だ。
妍く生れざる女は悲しいかな。
*****
病後の身でながく夜露に打たれて居た為めか、明る朝は熱度が昂まつて頭がぎん〳〵病め、始終悪夢に魘はれたやうで一日を過した。氷嚢やら薬瓶の世話を静緒が一人で為て呉れたといふことも後で聞いた。この日伯母が来た時、嫂は伯母を片蔭へ呼んで何か密々談して居たとのことである。それかあらぬか伯母は其次の朝の便船で、静緒を連れて急に帰ることになつた。
その朝、伯母の背後に躱れるやうにして、暇乞をして出た静緒の顔は凄まじきまでに蒼かつた。されど心安かれ、女に取つては如何なる日も昨日と成らぬ日は無からう。
*****
この月この日自分は静緒を捨てた。されど恋は捨てたとのみ云つて終るものであらうか、真の恋は捨てた日から始まるのでは無からうか。
あゝ、枯れた葉が落つれば同じ枝から新しい芽が萌𛀁出づる。(完)
『鈴木三重吉全集』全6巻・別巻1巻(岩波書店、1938.3~1982.7)に収録された書簡のデータを日時、宛先でソートできるようにデータ化し、そこに武蔵野大学蔵細田源吉宛三重吉書簡のデータを統合してまとめました。
書簡はおもに第6巻に収録されており、別巻(第2刷刊行、1982)に補遺が収録されたほか、第一次刊行時の伏せ字、「(中略)」の一部が注で補われました。
日時、宛先の部分は機械的に処理したのち目視で確認しました(誤りがあったら教えてください)。本文部分は未校正のため参考程度の利用に留め、あくまで全集を利用しやすくするための補助として用いてください。
細田源吉宛書簡の詳細、および従来全集に収録された細田宛書簡の日付の修正については、掛野 剛史; 荒川 琴乃; 保理江 悠人「資料紹介 細田源吉宛鈴木三重吉書簡二七通」『武蔵野大学武蔵野文学館紀要』, 武蔵野大学武蔵野文学館準備室 編 (15) 119-143, 2025-03を御覧ください。データをご提供いただいた先生方に感謝を申上げます。
以下はあとがき。
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