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なんだか呼ばれてるきがする

夏目漱石『文学評論』校正刷りを購入しました

 夏目漱石の帝大講義のうち、『文学論』(大倉書店、1907)にまとめられることになる文学概論講義について著書であれこれ書いたのですが、その際、『文学評論』(春陽堂、1909)にまとめられることになる「18世紀文学」講義についてはほとんど触れることができませんでした。今回は積み残した宿題と、新資料について書きます。

 

 この講義を志賀直哉が受けていたこと、同じく白樺派の木下利玄による受講ノートが残っていることなどを2020年に春陽堂のウェブサイト上のコラムで紹介しました。

夏目漱石と春陽堂【3】志賀直哉の見た夏目さん――――漱石の18世紀英文学講義と『文学評論』 | 春陽堂書店|明治11年創業の出版社[江戸川乱歩・坂口安吾・種田山頭火など]

 その受講ノートについては、現在、東洋大学の紀要に翻刻を連載中です。

木下利玄による受講ノート 夏目漱石 『文学評論』講義の翻刻と解題(1) ─ダニエル・デフォー論の刊本未収録箇所と「草枕」

木下利玄による受講ノート 夏目漱石『文学評論』講義の翻刻と解題(2)─ダニエル・デフォー論と写生文家のリアリズム

 こうした講義を『文学評論』として刊行するに至る作業は、はじめ滝田樗陰が原稿作成役に名乗りをあげ、実際にはほとんど森田草平がてがけ、それを漱石が修正して完成稿とし、校正も漱石自身が行なったといいます。

 

『文学論』に懲りられたからには相違ないが、校正まで自分でしようと言われたのは、まったくすまない気がした。

森田草平夏目漱石(二)』講談社学術文庫, 1980: 315)

 

 

 講義草稿→森田原稿→完成稿→校正刷→初版(→正誤表)というプロセスは、従来、神奈川近代文学館に部分的な原稿が残っているだけで、わからないことが多いのです。

 『文学論』の場合を思えば、『文学評論』もある程度講義段階から変更点があってもおかしくない。『文学評論』出版にむけた漱石の作業が本格化したのは『三四郎』の連載(1908年9月1日~12月29日)の頃ではないかと考えられます。とすれば、『虞美人草』『坑夫』のあと代表作となるいわゆる前期三部作へと飛躍する時期なのですから、この時期の漱石の創造性の一端が『文学評論』の成立からも見えてこないだろうか、という期待もでてくるわけです。この時期の漱石がプロットの問題につよい関心を持っていたことは、すでに指摘されるとおりです(石﨑等「『虞美人草』の周辺――――漱石とズーデルマン」)。

 漱石は『三四郎』連載のころ、花袋も愛読し影響を受けたズーデルマン『猫橋』H. Sudermann, Regina, or the Sins of the Fathers, 1899(生田春月訳が世界文学全集. 第2期 第10 - 国立国会図書館デジタルコレクションで読めます)を材料に読者の興味を加速させる方法を考え、雑誌の記者に述べていました。

同じインテレストでも加速度を以てアクセレレートして層々累々に新味を加へて行くとなると其処に深さが生ずる、『レギーナ』には此の困難な書き方で余程深さを表はしてゐる。

(「文学雑話」『早稲田文学』第35号、1908年10月)

 これに花袋が反応し(田山花袋「評論の評論」『趣味』易風社、1908年11月)、漱石が答える(「田山花袋君に答ふ」『国民新聞』1908年11月7日)。そんな火花も散らせた「興味の加速」という話題は、じつは木下利玄筆の「18世紀文学」受講ノートにすでに見えています。ダニエル・デフォーを論じる章の終盤(1907年2月頃)で、これまでの「18世紀文学」講義では異例なほど抽象度の高い議論を行なって、「興味の加速」、すなわち長い小説を短く感じさせる小説の組み立てについて細かく議論を行なっています。出版された『文学評論』ではこの抽象度の高い部分はほとんどカットされていますが、それでも『文学評論』のなかで、デフォーの章だけが多少浮いている感じは残ります。(デフォーの章は、実質的には、R・L・スティーヴンソンによって乗っ取られた感があります)

 結果的には、『文学評論』に盛り込まれなかった議論の名残が談話「文学雑話」として形を留めるに至ったのではないか。講義段階の「興味の加速」と「文学雑話」などにおける「興味の加速」との差異を吟味して、新聞小説漱石を考えられないか――というのが2019年に口頭発表で述べた私の見立てでして、以来、下調べを続けているところでした。

 今回、漱石によると思われる訂正の書き込まれた『文学評論』の校正刷が売りに出ていることを親切な先輩方に教えていただき、奇縁を感じて購入に至りました。反町茂雄氏が仕入れて和本ふうに装幀を施したと思われ、個人が所蔵していたものです。資料の性格上、画期的な新発見は期待できませんが、漱石が校正にあたった日付がある程度確定できたのはすこし前進という気がします。

 校正刷を研究材料としてどのようなことができるのでしょうか。十重田裕一氏の横光利一研究のように検閲の問題がからむ例がまずは思い浮かびます。ほかに校正刷を用いたおすすめの研究があれば教えてください。

「字が大き過ぎはせぬか」って、「せぬか」と言われましても……