ひさびさに研究発表を行います。よかったらどうぞ。
今回は『文学評論』について。こんな構想です。(↓)
これまで私は漱石『文学論』を中心に研究してきました(博士論文「夏目漱石『文学論』をめぐる総合的研究――東京帝国大学講義と初期創作を視座に――」。目下単行本化作業中です)。
他方、漱石が『文学論』(大倉書店、1907)の原稿をまとめている時期(1906年の末~1907年3月まで)は、漱石が『文学評論』(春陽堂、1909)のもとになった「18世紀文学」講義の最終盤でもあります(退職直前!)。そして、その最終章であるダニエル・デフォー論は、「筋の組み立て」を論じています。じつはこのテーマは、『文学論』の原稿をまとめる中で漱石が新たに盛り込もうとしながら断念したテーマでもありました(第四編第八章「間隔論」には多くの加筆増補がありますが、「結構」を論じることができなかったという断り書きがあります)。
「18世紀文学」講義の最終盤を記録した木下利玄(志賀直哉の同級生で『白樺』同人)の受講ノートを見てみると、講義の実態がわかります。では、講義の内容と、それから二年後に刊行された『文学評論』では、そうした「筋の組み立て」論は進展しているのでしょうか、それとも漱石は再び立論を断念しているのでしょうか。
時間が許せば、「田山花袋君に答ふ」まで扱えれば……いいなぁ。
記第429回 国文学研究会日時 2019年6月15日(土) 午後1時30分~会場 慶應義塾大学三田キャンパス 第一校舎124教室参加について どなたでも自由に参加いただけます。(会費200円)発表須山智裕「林房雄の新戯作派活用術―時を得る「妖魚」」髙橋諒「『うつほ物語』の本文―前田本系統の実態」服部徹也「漱石『文学評論』における「興味の加速」―木下利玄の受講ノートを視座として」 主催 慶應義塾大学文学部国文学専攻